1月11日my photo 〈大徳寺の山門・
金毛閣二層目〉
ここに利休の像が祀られた事がきっかけで秀吉の怒りを買い切腹を命ぜられたとも
・・・☆・・・
2009年 第140回 直木賞受賞作
「利休にたずねよ」
著者 京都市在住 山本兼一
2 おごりをきわめ 秀吉 24頁
利休の切腹の前日ー
天正19年(1591)2月27日 昼
京 聚楽第 摘星楼
三層の楼閣からは、京の町と東山のつらなりが眺めわたせる。
春の日差しをあびて、
三十六峰の若葉が、
つい手をのばして触れたくなるほど柔らかげである。
ーこれで、清々する。
秀吉は、扇子でじぶんの首の根をひとつ叩いた。
ながいあいだ喉の奥に刺さって取れなかった小骨が、やっと採れる。
天下人秀吉に、逆らう者は、もうただの一人もいなくなる。
HPより 〈摘星楼〉
〈東山三十六峰〉
九州の討伐を終え、小田原を陥とし、関東、奥州の仕置きは、ぬかりなくととのった。
百姓たちの刀を狩りあつめ、日の本のあらゆる僻地まで田畑の検地がすすみつつある。
いまや三つの子でも関白秀吉の権勢を知らぬ者はない。
天下のすべてが、秀吉の掌にのっている。
指一本動かすだけで、あらゆるものが手に入る。
人がひれ伏す。 秀吉の威光は、すでに海を越えて、天竺にまで達している。
先月は、印度副王の使節が、馬、大砲、鉄砲、甲冑など、
豪華な贈り物をはるばる運んできて、秀吉の偉業を褒め称えた。
もはや、関白の権威を覆せる者はいない。
それなのにー。あの男。天下にただ一人、
あの男だけがわしを認めようとせぬ。
-許せるものか。
許してよいはずがない。
千利休のことである。
my photo 〈利休が今もねむる
聚光院〉非公開
本堂襖絵は桃山時代の代表作で、狩野直信・永徳の筆と伝わる
また庭園は石を配した苔庭で、其処に佇む茶室「
閑隠席」は有名!
HPより 〈
閑隠席〉
江戸時代後期の作。利休好みの茶室・三畳敷。
HPより 〈院内の利休の墓〉
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大徳寺山門「金毛閣」にあった
利休の木像は、一昨日引きずりおろさせ、
利休屋敷すぐ前の
一条戻り橋で磔にして、火で焼かせた。
秀吉はこの摘星楼から見物人の群れと煙を見ていたが、そんなことをしても、
まるで気の晴れないのが余計に腹立たしい。
1月11日my photo 〈一条戻り橋〉
ーそれにしても、利休は、なぜ一碗の茶に、
あそこまで静謐な気韻をこめることができるのか。
腹立たしい男だが、その一点だけは認めないわけにいかない。
ーどうしてあそこまで、茶の湯の道に執着するのか。
ついぞ、たずねたことはなかったが、一度、訊いてみればよかった。
ー今からでも、遅くはないが。
秀吉の胸中に、わずかに芽ばえた逡巡を、雨音が荒いながした。
つよさを増した雨が、淡く白い紗(うすぎぬ)で東山の峰を閉ざしてしまった。
本文より
次は
「知るも知らぬも」 細川忠興 41頁