京の旅あれこれ【こしあん本舗】
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【利休にたずねよ】に 秘められた京を愉しむ     〈5〉
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 My Photo           〈お土居跡〉北野天満宮境内
                   右側が土塁がつづき、左下は紙屋川が流れている
                 ・・・現在秋には紅葉の素晴らしい名所になっている・・・

2009年 第140回 直木賞受賞作
「利休にたずねよ」    
著者 京都市在住 山本兼一


5  ひょうげもの也  古田織部  74頁
利休切腹の24日前 ―
天正19年(1591) 2月4日 夜
京  古田織部屋敷  燕庵

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                              〈燕庵〉
薮内家Geographicより

[古田織部]  歴 Wikipediaより
古田 重然(ふるた しげなり、-しげてる)は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将、大名。一般的には茶人古田 織部(ふるた おりべ)として知られる。「織部」の名は、壮年期に従五位下織部正(織部助)の官位に叙任されたことに由来している。
天正10年(1582年)から千利休の書簡に織部の名前(左介)が見える。この間に利休と知り合い弟子入りしたものと考えられ、のちに利休七哲のひとりとされる。天正19年(1591年)に秀吉によって利休の追放が決まると利休と親交のあった諸将が秀吉を憚って現れない中、重然と細川忠興のみが堂々と利休の見送りを行った。利休死後は、その地位を継承するかのように天下の茶人となった


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                    〈現在の空也堂御門〉・蛸薬師通油小路西入
                  ・・・古田織部の屋敷はこの寺の隣りにあった・・・
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                            〈境内の石仏〉

 ・・・☆・・・


古田織部の京屋敷は、下京の蛸薬師油小路、空也堂のとなりにある。
夜明けとともに目ざめた織部は、井戸水をくんで顔を洗い、釜に清水を満たした。
座敷にはいると、すべての障子窓をひらき、朝の清浄な気を招きいれた。
つい先日、新しく建てたばかりの茶室である。
暗かった露地が、淡い藍色の光に明け初めている。春の曙はすがすがしいが、
織部には気がかりがある。

― なんとかせねばならん。
師の利休が、秀吉の勘気をこうむっている。悪くすれば死を賜わることになるだろう。
秀吉の怒りはそれほど激しい。
そのことで、織部はきのうも聚楽第に行った。利休本人が弁明すればいいのだが、そんな気はさらさらないらしい。弟子たちのほうが気をつかい、秀吉の機嫌を取り結ぼうとしている。
織部は秀吉に頭をさげた。
「なにとぞ利休居士に寛恕をたまわりたく・・・・」
尾張の鷹狩りから帰ったばかりの秀吉は、付け髭をなでて、首を大きく横にふった。
「あやつの話など聞き党内」
目がさめるほどの緋色に金襴の縫い取りをした羽織袴がこれほど似合う男もめずらしかろう。
去年の小田原の戦勝以来、秀吉には天下人の風格がそなわってきた。
いま、秀吉は、京の地割りを整備して新しい通りをつくらせ、
町全体を土居で囲む大規模な工事を手がけている。
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                           〈紫野のお土居跡〉
以上My photo


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                      〈お土居の範囲内外で洛中、洛外とした〉
                    ・・時代屏風「洛中洛外図」などによくみられる・・
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                               〈断面図〉

「お土居の説明」
御土居は天下統一を成し遂げた豊臣秀吉が,長い戦乱で荒れ果てた京都の都市改造の一環として外敵の来襲に備える防塁と,鴨川の氾濫から市街を守る堤防として,天正19年(1591)に多くの経費と労力を費やして築いた土塁です。
 台形の土塁と堀(堀の一部は川,池,沼を利用)からなり,その延長は22.5キロメートルに及び,東は鴨川,北は鷹ヶ峯,西は紙屋川,南は九条あたりにそって築かれました。土塁の内側を洛中,外側を洛外と呼び,要所には七口を設け,洛外との出入口としました。鞍馬口,丹波口などの地名はその名残です。


以上参考資料は、京都情報館より


 ・・・☆・・・


美濃で生まれた織部は、信長に仕え、秀吉に仕えた。
山崎の明智討ちで戦功をあげ、天王山のふもと西岡城主となった。
信長の使番だった十年前を思えば、京、大阪をむすぶ要衝の三万五千石は大きな栄達である。
織部は食い下がらなかった。
あまり執拗に懇願しては、秀吉がかえってへそを曲げてしまいそうだった。
退出の挨拶をしようとすると、秀吉が朱塗りの扇子で織部を招いた。
「近う寄れ」
膝でにじり寄ると、さらにもっと近寄れと命じられた。
上段の間に上がると、扇子でじおぶんのすぐ前の畳を叩いている。
そこまで寄ると、秀吉は身を乗りだし、小声でささやいた。
「おまえ、利休の香合を見たことがあるか」
香合なら、いくつもみている。利休はよい香合をたくさん持っている。
「緑釉の香合だ。わしは、どうしてもあれがほしい。橋立の茶壷も欲しいが、あの香合は別格だ。碧玉のごとく美しい小壷だ」

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Mypicture                   〈謎の小さな緑釉香合〉             


織部は手をついて、頭をさげた。
「どうか、お命を粗末になさいませぬよう。このままでは、上様の怒りは増すばかり。
いずれ、厳しい御処断が下されましょう」
利休が首をかしげた。
「なんの悪いことをした覚えもないゆえ、わたしから申しsげることは何もない」
「上様があの・・・・・」
織部のことばを、利休が手でさえぎった。
「聞きとうない。聞かさずにいてくれ」
織部はくちびるを噛んだ。
「ただ、あなたには、教えて進ぜよう。この香合は古い時代の新羅のもの。
わたしの想い女の形見です」
懐から出した利休の手が、色褪せた袋をにぎっていた。なかから緑釉の香合を取り出すと、
利休はそれを畳に置いた。
燭台の光を浴びて、緑釉が銀色にきらめいた。壷の形が、瀟洒で洗練されている。
「誰が欲しがろうとわたすつもりはありません。手放すくらいなら、いっそ粉々に砕いてしまいたい」
香合をにぎった利休の手が高くあがった。
そのまま釜に叩きつけんばかりの、けわしい顔つきである。
やがて、目を細めて手を下ろした。膝の上で香合をなでている。
「なんの。そんなことができるなら、とうにしておったわ」
織部は、利休が手にしている香合を、じっと見つめた。
二人のいる茶室が、遠い遠い夜のはてまで彷徨ってゆきそうだ。

以上 本文より


つぎは「木守」   徳川家康  90頁
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by koshian-honpo | 2013-02-09 14:51