My photo 〈一条戻橋〉
旧「一条戻橋」の一部(平成7年まで実際に使われていた親柱)を利用し、
陰陽師で有名な、堀川一条の晴明神社境内に再現されています。
戻り橋の由来
延喜18年(918年)12月に漢学者三善清行の葬列がこの橋を通った際、
父の死を聞いて急ぎ帰ってきた熊野で修行中の子浄蔵が棺にすがって祈ると、
清行が雷鳴とともに一時生き返り、父子が抱き合ったという。
Wikipediaより
2009年140回 直木賞受賞作
「利休にたずねよ」
著者 京都市在住 山本兼一
18 「白い手」 あやめ長次郎 285頁
利休切腹の6年前 ―
天正13年(1585)11月某日
京 堀川一条
京の堀川は、細い流れである。
一条通りに、ちいさな橋がかかっている。
王朝のころ、文章博士の葬列が、この橋をわたったとき、
雷鳴とともに博士が生き返った―。
そんな伝説から、橋は戻り橋とよばれている。冥界からこの世にもどってくる橋である。
その橋の東に、
あめや長次郎は、瓦を焼く窯場をひらいた。
「関白殿下が、新しく御殿を築かれる。ここで瓦を焼くがよい」
京奉行の前田玄以に命じられて、土地をもらったのである。
聚樂第と名付けた御殿は、広大なうえ、とてつもなく豪華絢爛で、
まわりには家来たちの屋敷が建ちならぶらしい。
すでに大勢の瓦師が集められているが、長次郎が焼くのは、屋根に飾る魔よけの飾り瓦である。
長次郎が鏝とヘラをにぎると、ただの土くれが、たちまち命をもった獅子となり、天に咆吼する。
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樂歴代名品展パンフより 〈初代 長次郎作 二彩獅子〉
冬ながら、空は晴れて明るい陽射しが満ちている。
その光を浴びて、獅子にかかった赤い釉薬が銀色に反射した。
「いい色だ」
長次郎の背中で、太い声がひびいた。
ふり返ると、大柄な老人がのぞき込んでいた。
宗匠頭巾をかぶり、ゆったりした道腹を着ている。真面目そうな顔の共をつれているところを見れば、
怪しい者ではないらしい。
「なんや、あんた」
窯場には、まだ塀も柵もない。こんな見知らぬ人間が、かってに入ってくるようなら、
すぐに塀で囲ったほうがいいと、長次郎は思った。
「ああ、ご挨拶があとになってしまいました。わたしは、千宗易という茶の湯の数寄者。
長次郎殿の飾り瓦をみましてな、頼みがあってまいりました」
ていねいな物腰で、頭をさげている。
長次郎は、宗易の名を聞いたことがある。関白秀吉につかえる茶頭で、このあいだ、
内裏に上がって、利休という勅号を賜ったと評判の男だ。
「飾り瓦のことやったら、まずは、関白殿下の御殿が先や。あんたも聚樂第に屋敷を建てるんやろうが、ほかにも大勢注文がある。順番を待ってもらわんとあかん」
権勢を笠に着てごり押しするような男なら追い返そうと思ったが、老人は腰が低い。
「いや、瓦のことではない。茶碗を焼いてもらおうと思ってたずねてきたのです。
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長次郎は、自信があった。見たこともない獅子でさえ、見事に造形する腕がある。
人間の手になじむ茶碗など、なにほどのこともあるまい。
「やらせてもらいましょ。お気にめす茶碗が焼けますかどうか」
控えめにいったのは、謙遜である。しっくりと手になじむ茶碗を焼いて、世に名高いこの茶人を驚かせてやろうとたくらんだ。
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樂歴代名品展パンフより 〈樂茶碗名品〉
たずねたかったことを、長次郎は、思い切ってきりだした。
「あの爪は・・・」
長次郎は、じっと宗易を見ていた。
茶碗から目をそらさず、宗易が口をひらいた。
「想い人の爪です。形見に持っています」
長次郎は、だまってうなずいた。思っていたとうりの答えだった。
「さぞやお美しかったんやろな」
「天女かと思いました。それは
白くて美しい手をしていました。
この茶碗を持たせたら、とてもよく映えるでしょう」
宗易の目尻に、皺が寄った。茶碗を持つ女の
白い手をどこか遠い彼方に見ているかのようだ。
ひとつ大きな溜息をついた。
「あの女に茶を飲ませたい―。それだけ考えて、茶の湯に精進してきました」
「しあわせな女人や」
宗易が首をふった。
「あんな気の毒な女はいません。高貴な生まれなのに、故郷を追われ、海賊に捕われ、売りとばされ、流れ流れて、日本までつれてこられた」
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やがて、口中に苦みがひろがった。
人が生きることのとてつもない重さを、むりに飲まされた気がした。
次は
「待つ」 千 宗易 285頁