相国寺の蓮 2014
私が京都府立病院で3度目の入院時、隣のベッドの10年先輩のK氏に大変お世話になりました。
いつも芸術・音楽・岳々の話で盛り上がり、また早朝の暗いうちから2人でコーヒーを飲みながら
8階のラウンジで大文字山から昇る神聖で美しい御来光を何度となく崇めたものでした。
・・・☆・・・
私の手術中、病棟ベッド脇での家内の沈痛な様子を見て、
「奥さん!そのベッドはとても縁起がいいので安心して下さい、御主人は大丈夫ですよ!」と励ましの声をかけていただき、
その言葉で家内はとても救われた!と、後に聞きました。
また私が術後何度も苦しくなり、酸素吸入や点滴治療時には、いつも必ず私の好きな
アームストロングやドリスデーの懐かしい音楽が流れ出し、苦しさはいつも半減したものです。
そんな優しい心遣いに今も大変感謝しています。
K氏の退院前には、お互いそれなりの元気さになり、私たちの部屋は、珍しく明るく和やかな6人部屋だと看護師さんがよく言っていました。
ある時、何人かの看護師さんに悪戯
(わるさ)をしようと話がまとまり、K氏が出町の植木屋さんで買ってきた鉄仙花の鉢を、点滴袋を吊り下げるS型部品に吊るし、果たしてどの看護師さんが花鉢に気付いて私たちを叱るかを、6人で缶コーヒーを賭けて遊んだことがありました。気が付かない方、知りながら無視される方、黙っていられない方などいろいろでした。
当然そのような悪戯は大人げない恥かしい事です、この場をお借りして深くお詫び致します。
昔の墨滴画帳より 鉄仙花
お互い退院して、良くなれば逢おうと約束はしていたが、どちらも揃って逢える体調にはなれず、
まぁーゆっくりと焦らずに再会を楽しみにしていたものです。
K氏が私より半月ほど先に退院され、その後の葵祭の日に、好きな単車で私の見舞いに来て下さり、
4階の廊下から2人でまたコーヒーを飲みながら祭の行列を楽しみ、その後帰宅されるのを見送ったのが今になっては
その時がK氏との最後になってしまいました。
私の好きな明治の版画より
そのあとの退院後電話で尋ねたら、K氏はかすれた声で咳をしながら辛そうでしたので
手短に入院中の御礼を言い、その後手紙を送りました。
直ぐ電話を頂き、少し元気そうな声でしたが体調はまだまだとの事で、
私もなかなか良くならず再会は延びのびに・・・・・。
・・・☆・・・
2年後私が再入院中、
K氏の訃報を耳に!、退院してすぐ奥様にお聞きし、
自宅から出した手紙が今も保存している、悲しい追悼文となりました。
私の今の気持ちがK氏に届くように、当時の2通の手紙を添えて、
ご冥福を祈りつつお盆に投稿致しました。
平成9年 最初の短い手紙
平成11年 追悼文
Kさん どうぞ安らかに! 平成26年 お盆