京の旅あれこれ【こしあん本舗】
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【利休にたずねよ】に 秘められた京を愉しむ     〈3〉
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                  〈昨秋の高桐院庭園敷紅葉と石灯籠〉大徳寺塔頭
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                    〈高桐院内の細川忠興(三斉)・妻ガラシャの墓〉
                    ・・・この墓石は利休からあずかった石燈籠・・・
                 右横には2代目忠興を除き細川家12代までの墓が並ぶ!


2009年 第140回 直木賞受賞作
「利休にたずねよ」    
著者 京都市在住 山本兼一


3  知るも知らぬも  細川忠興 41頁
利休切腹の15日前―
天正19年(1591)2月13日 夜
京 吉田 細川別邸 長四畳  


淀の船着場は、春の黄昏に暮れなずんでいる。
山はおぼろな藍に霞み、川に吹く風がなまめかしい。
「おいでのようです」
細川忠興がつぶやくと、ならんで立っていた古田織部がちいさくうなずいた。
向こうに、川沿いの街道をやってくる行列が見えている。
「咎人のあつかいか」
騎馬武者をまじえた五十人ばかりの隊列が、粗末な駕籠を油断なく警護している。
船着き場の川原に駕籠を置かせると、馬をおりた武者が菰をめくった。
鼠色の道服を着た男がおりてきた。
堺に下る利休である。

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京都新聞紙面より  〈時代劇のロケでよく使われる八丁堀〉本文の淀船着場とは違うが

「おいたわしや・・・・」
遠目にも、利休の憔悴は見てとれた。大柄な背をまるめ、首をすくめている。
視線を感じたのか、利休が顔をあげた。こちらに気づいて、眉をひらいた。

忠興と織部とが頭をさげると、利休が深々と辞儀をかえした。
わきに立つ侍に、なにか話している。
黒い甲冑をつけた侍は、今日の追放を、忠興に知らせてくれた富田左近だ。
左近も茶の湯の数寄者で、利休の弟子である。


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                      〈現在南禅寺北側にある細川別邸〉
                ・・・本文の別邸を移築したのか定かではありません・・・
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                            〈細川家御紋〉



京にもどると、細川忠興は、一条の屋敷には寄らず、吉田山のふもとの別邸に入った。
淀から先に人を送って、妻のガラシャに手紙をもってやらせた。
利休から一条の屋敷に届いているはずの茶道具を、吉田の別邸に持ってくるように命じたのである。今夜は聚楽第に近づきたくない。
秀吉の心魂が、やけに下司に感じられる。
屋敷に入り、中門をくぐって月明かりの露地をあるくと、
手水鉢の向こうの石灯籠が、明るく灯っていた。
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~~~


清めた手を手ぬぐいで拭くと、忠興はあらためて石灯籠をながめた。
その石灯籠は、いつだったか、利休からもらったものであった。
利休が善しの均衡ががすばらしいと激賞していただけあって、
凛としたすがたには、一点のゆるみもない。丹後の城に下向するときは、
わざわざ人足に運ばせるほどの執着ぶりである。
「この灯籠、そちで匿っては下さるまいか」
利休にそういわれたとき、忠興はもちろん即座にうなずいた。
評判を聞いた秀吉が欲しがったので、利休は灯籠の笠をわざわざ打ち欠いたのだという。
「割れておりますゆえに、献上いたしかねます」と断りの口実にするためだったが、
打ち欠いてみれば、さらに利休好みのすがたになっていた。
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                 〈現在もこの欠けたままの石灯籠が墓石となっている〉

完璧すぎる様式より、不完全な美をいちだん崇高なものとして賞賛したがるのは、
村田珠光以来、もの数奇な侘び茶人の僻である。

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              〈利休の影響をうけての忠興好みの茶室・松向軒〉高桐院内

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my picture                   〈黒楽茶碗の贋作絵〉


利休の傲岸不遜のかげには、美の崇高さへのおびえがあったのか。
―利休殿は、美しいものを怖れていた。
そう考えれば、さまざまなことに納得がいく。
あそこまで繊細に、執拗にこだわりつづけてきたのは、
自負や驕慢より、ひたすらおびえていたからかー。
―なぜ。
という疑問が、当然わいてくる。
「なぜだろう」
「さぁ・・・・」
ガラシャの指が、忠興の胸であそんでいる。
「あんがい、つまらぬ理由かもしれません」
「どのような」
「好きなおなごに嫌われたくないとか・・・・」
ふふっ、と、男のこころを知り尽くしているように、ガラシャが微笑んだ。
―まさか・・・・・。
打ち消してみたが、その考えは、忠興のこころのなかで、しだいに大きくふくらんでいくばかりであった。

本文より

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                       〈今も昔と変わらぬ大徳寺境内〉

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                            〈修行僧のお帰り〉

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                忠興を除き、細川家12代までの墓・正面が初代細川幽斎
                       13代目から都が移り、東京に!
以上my photo



次は「大徳寺破却」  古渓宗陳

ですが、
~好きなブログ投稿と持病のめまいは背中合わせにて、少し休憩いたします~
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by koshian-honpo | 2013-01-19 20:35