京の旅あれこれ【こしあん本舗】
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【利休にたずねよ】に秘められた京を愉しむ   〈8〉
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                       〈バチカン・サンピエトロ聖堂の中〉
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                       〈バチカン・システィーナ礼拝堂〉

2009年 第140回 直木賞受賞作
「利休にたずねよ」    
著者 京都市在住 山本兼一

8  鳥籠の水入れ  ヴァリニャーノ  122頁
利休切腹のひと月と20日前―
天正19年(1591)閏1月8日 昼
京   聚楽第  三畳


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                            〈ヴァリニャーノ〉
アレッサンドロ・ヴァリニャーノ〈1539年2月15日 - 1606年1月20日)は、
キリシタン時代の日本を訪れたイエズス会員、カトリック教会の司祭。
イエズス会東インド管区の巡察師として活躍し、天正遣欧少年使節派遣を計画・実施した。
参考 Wikipediaより


・・・☆・・・

「いいかね、日本人の風俗や習慣は、世界のなかでは、かなり珍妙な部類に属するのだ。
君たちには辛いだろうが、そのことは、はっきり認識してもらわなければならない」
聚楽第で関白秀吉に謁見するにさきだって、イエズス会東インド巡察師アレシャンドゥロ・ヴァリニャーノは、4人の若者を前に話しはじめた。4人は金モールの縁飾りがついた黒いビロードの長袍を着ている。
関白殿下からあてがわれた都の宿舎である。かっては彼の屋敷であったというだけあって、建築は精妙だし、庭は瀟洒で美しい。こういうことにかけてなら、日本人ははなはだ優秀で、特異な才能を発揮する。
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                          〈サンピエトロ聖堂正面〉

伊東マンヨー、千々石ミゲル、中浦ジュリアン、原マルティノの4人がうなずいた。
十三歳で日本を出発した彼らも、帰国したいまは、もう二十歳を過ぎた青年である。
長い旅の果てに、スペイン国王とローマ法王に謁見した4人は、ヨウロッパ各地で熱烈な歓迎を受けた。地球の裏側から連れていっただけの成果はじゅうぶんに上がった。
インド以東でのイエズス会の布教活動は、ヴァチカンの枢機卿たちに広く認知され、高く評価された。
8年たってもどってみると、日本の政治情勢が大きく変わっていた。
暴君信長は殺され、あとをついだ秀吉が、伴天連追放令を出していた。
宣教師たちは都を追われ、九州で息をひそめている。

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                        〈バチカン・コロナート列柱〉
写真はバチカン市国観光HPより


ヴァリニャーノは、丸くふっくらした小さな壷を手のひらにのせた。
外はよく晴れているというのに、紙を張った窓からは、ほのかな光しか射さず、
茶色い小壺は、くすんでしか見えない。それはやはりただの土の焼き物で、
どんなにためつ眇めつしても、なんら価値あるものとは考えられない。
食卓の塩入れにつかうにも、これではあまりに味気ない。
― 鳥籠の水入れにしかならない
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                     今焼きあがり?の好き勝手窯 練香小壺絵

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My picture ! 2題         今塗りあがり?の好き勝手黒漆 練香小壺絵


「ひとつおたずねしてよろしいでしょうか」
ヴァリニャーノの言葉を、ロドリゲスが訳した。関白が目でうなずいた。
「似たような小壺であっても、一文の値打ちのない物も多いと聞きます。いったいなにがちがうのでしょうか」
それが、一番たずねたかったことだ。
茶を司る坊主は、ヨウロッパの宝石商がおこなうように、千個の類似品のなかからでも、たったひとつの伝説の品を選び出す。
老人の顔を、ヴァリニャーノはしげしげ見つめた。じつに不敵な面がまえをしている。
「それは、わたしが決めることです。私の選んだ品に、伝説が生まれます」
ヴァリニャーノは、老人の言葉に、美の司祭者としての絶対の自信を聞き取った。



次は「うたかた」   利休 138頁
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by koshian-honpo | 2013-02-18 19:51