
NHK新日曜美術館より 山門・金毛閣〈龍の天井絵〉
長谷川等伯筆
2009年 第140回 直木賞受賞作
「利休にたずねよ」
著者 京都市在住 山本兼一
7 狂言の袴 石田三成 106頁
利休切腹のひと月とすこし前―
天正19年(1591)閏1月20日 昼
京 聚楽第 池畔の四畳半
大徳寺山門楼上への急な梯子段を登ると、京の町の展望がひらけた。
松の緑のむこうに、上京の家並みと東山が見える。朝の陽射しは暖かいが、風が冷たい。
「あれが船岡山でございます」
先に立って案内する古渓宗陳のことばに、石田三成はうなずいた。
いつだったか、あの船岡山に、大寺院を建立すると、秀吉が言い出したことがあった。
わが主ながら、よくぞ次から次へと大がかりな普請や作事を思いつくものだと驚かされ。
いま、京では、秀吉のさしずどうりに大路小路を広げ、土居と堀で都全体を囲っている。
世の中は秀吉の思うがままに動いている。

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My photo 〈金毛閣への階段〉非公開

光村推古書院 時代マップより 〈洛中洛外図屏風〉
「聚楽第が見えております」
遠くに三層の館が小さく見えている。そこの主は、尾張に鷹狩りに出かけている。
三成には、帰ってくるまでに片付けておけと命じられた仕事がある。
「そんなことより、中を見せてもらおう」
若い雲水が丹で塗った扉を開けた。檜が強く薫り、なにもないがらんとした空間が広がった。
応仁の乱で焼けたあと、一層部分しか再建されなかった山門の上に、
利休が楼閣を寄進して増築した。それがこの金毛閣である。
天井に大きな竜の絵が描いてある。大胆にして雄渾な線は、長谷川等伯の筆だ。
梁に白い波が逆巻き、柱に赤い仁王が踏ん張っている。
天井の四隅には、金色の可憐な天女の彫像がかざられ、色とりどりの珠をつらねた瓔珞が垂れている。
― これまた。
念の入ったしつらえだと感心した。利休という男は、なにごとにも周到に気がつき、疎漏がない。
嫌みなほどみごとに気配りが行き届いている。
広い空間の正面に、一体の立像が安置してある。
仏像ではない。大柄な利休をそのまま生写しにした彩色の木像である。
黒い衣を着て袈裟をかけ、頭巾をかぶっている。
杖を手に、どこかに旅立つすがたでもあろうか。

〈千利休肖像画〉長谷川等伯筆

My photo 〈石田三成 菩提寺〉三玄院・大徳寺塔頭
― しかし、気に喰わぬ。
あの男、人を見下している。
じぶん以外はみな愚者と思っているにちがいない。木像のとろりとした眼差しを見ていると、三成の腹に、また利休への怒りがこみあげてきた。秀吉に命じられる前から、三成も
利休のことは腹にすえかねていた。
「なにか、差し障りでもございましょうか」
宗陳が不審げにたずねた。
「さよう。大いに障りがござる」
三成は、ふり返って宗陳を見すえた。墨染めの衣を着た老僧の顔がくもった。
「なにがお気に召しませぬ」
「なにがどころではない、なぜ、このような木像を置いたのか。この寺では釈迦牟尼のかわりに利休をありがたい本尊として崇めておるのか」
宗陳が首をふった。
「これは異なことをうけたまわる。この金毛閣は、千家一族をあげての大寄進。ただ銀をいただいたばかりではござらぬ。材木を集め、大工を雇い、作事を奉行し、絵師を差配し、
すべて利休殿が、当山のために奔走してくださった。その功を顕彰する木像でござれば、
なんの障りがありましょう。関白様には、像の安置もあらかじめお届けしてあります」

My photo 〈三玄院壁に松の陰〉

NHK新日曜美術館より 〈長谷川等伯が描いた襖絵〉
等伯が、住職の留守の合間にいたずらで、襖の桐を雪に例え
上から墨で雪景色を描いたと言われている。
〈現在は圓徳院に所蔵〉
「寄進者の顕彰は、どこの寺でもやること、それが不都合とはいかがなわけでございましょうか」
強い眼差しで宗陳が三成をにらんだ。老僧ながら不敵な面構えである。
「帝も関白殿下もお通りに「なる山門でござる。
その上に茶頭風情が草履をはいて立ち、股の下をくぐらせるとは、不敬もはなはだしい。寄進の功を讃えるなら棟札ですむこと。木像をかざるなら、なぜ控えて隅に置かぬ」
「それは・・・・・」
「申し開きがあるか」
にらみ返すと、宗陳が喉を詰らせた。ことばは出てこない。
三成は踵を返して廻り縁に出た。
よく晴れた青空に浅い春野風がこころよい。
― よいものを置いてくれた。
こんな都合のよい口実があれば、いくらでも利休を糾弾できる。
三成はひとり深くうなずいた。
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前田玄以が膝をのりだした。
「九州御出陣のおり、箱崎の浜の野点にて、上様がご覧になり、ひと目でご執心あそばされたとか。
千金を積むとの仰せにも、利休め、首を横にふるばかりであったそうな」
「まこと高慢な男。しかし、どんな香合か、いちど見たいもの」
「それがしも見たことはございません。瑠璃の玉より鮮やかな色をしておるらしゅうござる」
「玉を削った香合か」
「いえ、焼き物とのことでござる。よい品なら茶の席に飾ればよかろうに、客にも弟子にも見せたことがないらしい」

My picture 〈好き勝手に色づけした香合〉
「茶の道具などというもの、人に自慢してみせるために高値をいとわず購うものと思うておった。
あの男に、そんな秘めたこころがあるか」
玄以が、鼻をなでた。
「なにやら艶めいた因縁があるらしゅうございます」
「なんだ、女か、つまらぬ」
「もとの話は下世話でも、狂言まわしには、なによりの種と存じます。ただいまからでも、それがし、この狂言袴を利休に返し、代わりにその香合、なんとしても聚楽第の宝物となしましょう」
瞼を閉じた三成は、まだ見たこともない美しい香合を思い浮かべようとした。
浮かんだのは、金毛閣の利休像であった。
道行きの姿である。
旅立ちたいなら、そのまま十万億土にでも行くがよい。驕り高ぶった茶頭の行く先は、
そこがふさわしかろうー。
池水に風邪がそよぎ、白い障子の光が大きく乱れた。
大釜の湯が、力強い音を立てて滾っている。
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「鳥籠の水入れ」 ヴァリニャーノ 122頁